礼拝2019.12.1「罪を取り除くために」へブル9章
1.初めの契約(1-10)
神は、モーセに、幕屋を作るように命じられました。第二の幕屋、即ち至聖所には、祭司の代表者である大祭司ただ一人だけが、それも、年に1度だけ入ることが出来たのです。ささげられた、動物の血を携えて入って、それを契約の箱に振りかけました。初めの契約は、動物のいけにえが人々の罪を負ってほふられ、血が注がれることによって、つまり動物が、罪を犯した人間の身代わりとして罰せられることによって成立しました。大祭司による贖いの儀式は毎年行われました。
2.新しい契約(11-23)
しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られたものとは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです(Ⅰ1-12)。
3.キリストによる完全な贖い(23-28)
・キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです(26)。
キリストは完全な大祭司として来られ、ただ一度ご自身をいけにえとしてささげられました。それは私たちの罪をとり除くためです。
<暗証聖句>
「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです」 へブル9:26
<私たち> キリストを信じる者の罪は完全に取り除かれるのです。私たちは、そのめぐみを感謝し、献身を新たにし、従順なものとして、礼拝をささげ、主との交わりを喜び楽しみましょう。主のみことばに従うならば、そこに主の栄光が現わされます。主が伴ってくださり、私たちを最善へと導き、私たちがたとえ困難に遭遇したとしても、希望をもってそれを耐える力が与えられます。主との交わりが回復された者として、主が再び来られるまで、日々みことばによって養われ、主を喜び楽しみつつ歩ませていただきましょう。
*キリストを信じる者の罪は完全に取り除かれること感謝・その喜びを分かち合う